特集:
2008/06/25 日記<軽ボンネットバン>
軽ボンネットバン
軽ボンネットバン(けい-)は1980年代に軽自動車の主流を占めたボディスタイルであり、ハッチバックスタイルのライトバン(貨物自動車の一種)である。
概要
乗用車(いわゆるセダンタイプ)と違い、法定の荷室面積確保の必要から、リアシートは可倒式で狭くなっており、小学生以下の子供以外は実用に耐えない。したがって、実質上は2人乗りである。また、ナンバープレート (日本)|ナンバープレートの車種を表す分類番号は、軽トラックやライトバン|軽ワンボックスと同じく、頭が「4」となる番号「○○480」(以前の2桁では「○○40」)。が付けられている。1980年代までの軽貨物車は物品税が非課税(その後、軽ボンバンのみ5.5%に課税される)であったことから、節税目的のセカンドカーとして隆盛を極めた(当時の軽乗用車の物品税は15.5%)。また、軽自動車は貨物車であっても、当時の乗用車と同じ2年自動車検査登録制度|車検であったため(貨物自動車|小型貨物車、普通貨物車の貨物車は1年車検。ただし1983年に乗用車・軽乗用車の初回車検が3年に延長されたのに対して軽貨物車は2年のまま延長されなかった)、デメリットも小さかった。1989年の消費税導入に伴う税制優遇の相対的縮小や、1990年代以降の「トールワゴンブーム」などによるデラックス化への移行で、軽自動車市場の主流からは外れたものの、軽自動車カテゴリーの一ジャンルとして定着し、2008年現在でも主立った軽自動車メーカーでの生産が続いている。
沿革
元々このスタイルの軽自動車は、軽四輪自動車の黎明期から多数存在しており、1955年のスズライトや1959年のコンスタック、1963年のスバル・360カスタムなど、古くから事例は多い。しかしこれらは市場からも「小型ライトバン」として「貨物自動車」の一種と捉えられており、乗用車として積極的に用いられる存在ではなかった。また軽トラックシャーシ派生のワンボックス型ライトバンに比して輸送力・積載量が劣る軽トラックシャーシ車が概ね軽貨物車の法定積載量上限350kgまで搭載可能なのに対し、軽ボンネットバンは通常200kg積載のことが多く、例外があっても250kg積載が実例での上限である。ため、さほど存在の大きなカテゴリーでもなかった。この傾向が一転したのは、日本における自動車普及が大幅に進行した1970年代に至ってからである。
ジャンルとしての確立
1970年代、特にモータリゼーションの進行が著しかった地方・郊外では、メインとなる1台目の乗用車に加えて、主婦等が軽便な交通機関として利用する2台目の自動車(セカンドカー)の需要が生じてきた。軽自動車メーカーのスズキ (自動車メーカー)|スズキ(当時は鈴木自動車工業)は、調査の結果「日常で自動車を使用するシチュエーションにおける平均乗車人数は2人未満」と割り出した。そこで当時過剰なデラックス化傾向を辿っていた一般の軽乗用車とは正反対の商品コンセプトを打ち出し、その手段として軽商用車のカテゴリーを利用することにした。当時は前輪駆動方式が軽自動車に本格普及した時期で、ボディスタイルも実用性の高いハッチバック形に収れんしつつあった。このレイアウトであれば、ボンネット形の3ドア乗用モデルと商用モデルは、自動車としての基本骨格をたやすく共通化できた。バンタイプの自動車は商用車としての制約から後席の居住性が悪いが、運転席部分は乗用車同様のスペースを確保でき、2人までの乗車ならユーザーにとっては乗用車と何ら変わりがない居住性を得られた。しかも主たるユーザーの女性たちは、規格上の乗用車と商用車の区別には無頓着であることが、アンケートで判明していたのである。これらの検討を元に、スズキが1979年にスズキ・フロンテ|フロンテの商用モデルとして発売した「スズキ・アルト|アルト」が、ジャンルとしてのいわゆる「軽ボンバン」の最初とされている。アルトは5ドアのフロンテと基本構造を共通化しながら3ドアボディを採用、助手席側キーホールやシガーライターなどの装備・装飾は省略して徹底簡素化し、エンジンも当初は簡易な2ストローク機関|2ストローク3気筒を使用した在来モデル引き継ぎの2ストロークエンジンを前輪駆動向けに小変更したもので、1981年まで使用。フロンテは当初から新開発の4ストローク機関|4ストローク3気筒搭載だった。当時、2ストロークエンジン車を多数生産していたスズキ固有のメリットとして、商用車は排気ガス規制が緩く、乗用車よりも2ストロークエンジンを使いやすかったという事情がある。。実用のみに徹したシンプルなコストダウン設計に加え、物品税非課税も手伝って「定価47万円」という当時では驚異的な低価格を提示できた企画段階では更に安い45万円での販売が計画されていたが、それではさすがに利益が出ないことが判明し、47万円で妥協となった。。「アルト47万円!」と謳ったストレートなテレビコマーシャルは注目を集め、発売後1ヶ月足らずで1万8000台以上のオーダーを得て、当時のベストセラーとなった。この成功に追随する形で、ダイハツ工業がダイハツ・クオーレ|クオーレのバンモデルとしてダイハツ・ミラ|ミラクオーレを発売し、富士重工業、三菱自動車工業も同様の車種を相次いで投入、市場は活況を呈した。「節税車」軽ボンネットバンの大人気ぶりは税務当局の注意を引き、1981年10月からは4人乗り軽ライトバンにも5%の物品税が課税されるようになったが、それでも乗用軽の物品税課税率15%に比べればはるかに格安で、人気を大きく削ぐことはなかった。しかも、完全2人乗り仕様であれば5%課税の対象とならないため、メーカー側も後部座席を省いた2座モデルの軽ボンネットバンを投入するしたたかさを見せた。1985年には、軽乗用車カテゴリーから撤退して久しかった本田技研工業が市場の動きに刺激され、低車高のユニークな軽ボンネットバン、ホンダ・トゥデイ|トゥデイを発売して、乗用タイプの軽自動車市場に復帰したトゥデイ初期型は、軽トラックの2気筒エンジンを若干設計変更して搭載していた。斬新なスタイルのモデルではあったが、実は他社の同種製品同様、意外に低コストな成り立ちと言える。。これらの軽ボンネットバンは、主婦層を中心とした大衆ユーザーから広く支持され、1980年代における軽自動車の主流となった。ボンネットバンは、1980年代の軽自動車マーケットの活性化に著しく寄与したと言える。
ブームの沈静化
その後、商用モデルでありながらデラックスな内装、豪華な設備を備えたものや、ターボチャージャーを装備したスポーツ仕様車64PSを発生する過激な「軽バン」まで現れた。が現れるなど、軽自動車市場は1970年前後の360cc時代を彷彿とさせる過剰装備・過剰性能へと逆行し、軽ボンネットバンの形態はいささかいびつな状況を呈した。一般には、1989年の物品税廃止・消費税導入で、商用モデルの割安感が少なくなり、ボンバンブームは終焉を迎えたとされる。しかし実際には、物品税以外にも「○○50」の軽乗用車に比べて自動車保険|任意保険はほぼ半額、軽自動車税や自動車重量税も安く、今なお乗用モデルに対するメリットが存在しているワンボックスカー|軽ワンボックスにおいては1999年に三菱・タウンボックスが乗用モデルとして発売されるまで全て商用モデルとして発売されていた。。この時期、自動車に要求される居住性の水準が上がった事が主因であり、物品税廃止はそのきっかけに過ぎなかったとも言える。以後、軽ボンネットバンのラインナップは、1979年の「アルト」登場時のような、本来の形態に沿った簡素な廉価版を中心に設定されるようになった。安全性や居住性は自動車としての最低基準を満たし現行車種は過剰装備こそ持たないが、軽自動車の安全基準を満たし、なおかつエアコンディショニングやパワーステアリング、AMラジオなど、「乗用車」に求められる最低限の装備は標準で備えている。ただし、エアバッグやアンチロック・ブレーキ・システム|ABSなどの安全装備についてはコスト面からオプション扱いという事例もある。、原動機付自転車などに比して(機動性を除いた)実用性に勝るミニマム・トランスポーターとして定着している。軽ボンネットバンは、2008年時点でも最低限の装備を備えた5速マニュアル変速機モデルが定価60万円程度(課税前価格)に設定されており、日本で新車として購入できる本格的な四輪自動車では、もっとも廉価な部類に属する。
用途
以上2点は、軽乗用車に比べて本体価格が多少安く、保険や諸税などのランニングコストも安いことに着目し、通常の乗車人数が1・2人であると割り切った用途であろう。軽自動車の黄色ナンバーで分類番号が「○○480」「○○40」であれば、商用モデルであることを示しているので、「○○580」「○○50」の乗用モデルと区別できる。
歴史
その後、三菱自動車工業なども同様の車種(三菱・ミニカ|ミニカ)を発売。
車種一覧
現行車種
過去の車種
脚注
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